どうして現代のあらゆるものには魅力がないのか

車、音楽、家具、食器、日用品、建物、ゲーム、家電製品、靴、人間。

今新しく作られているこういったものたちの全てが、何の魅力もない。
どうしてなんだろうか。

技術もどんどん進歩して間違いなく不良品は減り、デザインは洗練され、優れた素材なども発明されている。
そしてその先に、良いものが何もない。

ご飯もパンもポタン一つで出来上がるようになった。
洗濯もボタン一つで出来るようになった。
家も現場では組み立てれば良いだけで、すぐに出来上がるようになった。
電動工具も、いちいちドライバーでネジを回さなくてもいい。
鍋やフライパン、コップ、道具、靴、服、捨てて買い換えた方が効率が良くなった。
車のボンネットを開ければエンジンは見えず、自分で手入れをする必要はなくなった。
絵の具をパレットに出さなくても、絵が描けるようになった。


これら例外はあるけれど、基本的にはどれも本質を追求はしていない。
タブレットで絵が描けるようになるのと、素晴らしい絵が描けるのとは結びつかない。

企業にとってはどれも、別に本質なんてどうでも良い。売れればいい。では買うのはどんな人か?
言っちゃなんだが、それらを買う大多数の人は頭が良くない人たちだ。

今の経済社会を見ているとよく分かる。税金の制度だって、社会の仕組みだって全部そうだ。


話はそれたが、ではその大多数の人たちは”素晴らしいもの”、”良いもの”があったとして果たしてそれらを求めたがるのだろうか。

これから貧困格差はどんどん開くので、基本的にお金に余裕のない人がもっと多くなる。
世の中にも安くてくだらない物がどんどん出てくるが、お金が無いと仕方がないので安いもので済ます。
つまり、いい物は欲しいけれど安い方を選んでしまうというのが一つ。


もう一つは、もはやいい物を目にする機会がどんどん減るので、良いものが何なのか分からなくなる。

かわいい雑貨屋さんで売っているコーヒーカップ、実は形が全然良くない。美学もない。
本当に美味しい米、パン、肉。
本当に良い絵画、音楽、映画、デザイン。

かっこいいとは何なのか、美しいとは何なのか、素敵な人とはどんな人なのか。


魅力のない物が並ぶから人は買うのか。人が求めるから魅力のない物が作られるのか。
音楽はよく時代を映すというが、そう考えれば分かるように今の時代は空っぽだ。そしてそれは、音楽だけの話でもないだろう。

貧乏で手に入れられないのは仕方がないが、目利きまで出来なくなってしまったらもうおしまいだ。

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