僕たちが意識しておかないこと~「在野」

「野に在る」と書いて在野だが、この単語は康成と出会ってから知った。

音楽を聴く9割以上の人間は音楽マニアでも何でもない普通の人だ。これ、別に当たり前の事だけど、案外分かってないというか、意識していない人多いんじゃないですかね。

自分たちは、ミュージシャンが目指しがちな”特別な場所”を目標としていない。在野で有り続けようと言っている。勿論音楽をやっている以上武道館とか、大きな会場でやりたい。別の言い方をすれば、普通の生き方をしていたら見れないものを見たい。
だけど、ベースは在野と言うこと。どんなところへ行ったとしても、帰ってくるところは在野だ。


普通の人には手の届かないスーパースター、見たければテレビかコンサート会場だけで雲の上のような存在ってのもすごく価値がある。 けれど自分たちは、そんなところばかりにいてはいけないと考えている。自分たちがメッセージを届ける相手はそこにはいないから。

またこのスタンスには、こだわりだけじゃなく付随したメリットもある。例えば連日テレビに映っていた人が気が付けばめっきり見ない。あの人は今、的なノリでたまに耳にした時に「ああ地方の小箱でやってるのね」となるのは寧ろ正ルートと言ってしまっても良いかもしれない。
自分たちは完全にその逆。普段から地方にいる。有名だったアーティストがメディアから消えて地方でやっていれば、どうしたって落ち目のレッテルがついてまわる。いろんなケースがあるだろうし、本人が自分の意思で第一線から退いて何か新たな目的によって全国を点々と周り始めたのなら良いと思う。本人がそうしたかったのなら、そりゃ良いでしょう。それでも先入観は拭えないだろうけれど。


と言うかここまで書いて思ったけれど、これから出てくるバンドなどに、”メディアから消えた”といった概念も変わって行くかもしれないねぇ。メディアが変わっていっているから。

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