2019年7月9日、ぼくと康成の二人は東京で、飯面雅子氏に会った。僕たちが東京まで飯面氏に会いに行った目的は大きく分ければ二つある。一つは単純に打ち合わせだ。そしてもう一つは、人と人との関係性を強くしておくためだ。同年の2月に行われた島本音楽協会の40周年記念コンサート で一度顔を合わせただけ、色々とお話はしたがその一度で、更に半年も経っている。今回の映像の件を成功させるには不可欠な工程だと考えていた。
まず移動手段だが僕たちは基本的には車で、しかも何処へ行くにも高速道路は滅多に使わない。理由は自由と融通がきく点、後はリスク回避だ。多くの駆け出しのバンドマンは自分たちの機材車を自分たちで運転しライブ会場を回る。疲れていなくても事故は起こるが、ハードスケジュールで移動していればなおのことだ。高速道路での事故は致死率が高い。昔桜塚やっくんの件があったが、表面に出てこないそういったケースは沢山ある。
よって今回も僕たちは東京まで下道で、ゆっくりと、休みながら向かったのである。
ただ私事ではあるが、その時期僕は坐骨神経痛を抱えていた。2018年12月頃からで元々ヘルニア持ちだが、それが再発し走るなんて勿論出来ず、立っているのも寝ているのもキツい時期だった。当然車に乗る姿勢もダメなので、7月までに何とか治す必要があった。
接骨院へ通い腰の牽引、鍼治療、湯船につかって身体を温める、出来る範囲で筋トレとストレッチ、やれる事は全てやった。これらのおかげで、コルセットは外せなかったが当日までにかなり良い状態を作ることが出来た。
僕たちは基本的には、夜に移動距離を伸ばす。深夜となれば下道でも相当進むことができる。お互い眠くなったらどこかで停まり、休憩したり交代したりで僕が助手席でふと気が付けば、もう箱根だった。富士山は悪天候で見れなかった。
夜に京都を出て翌日の午前中にはもういつでも東京へ入れる位置にいたが、流石に飯面氏に会う前にちゃんと睡眠をとっておきたいし、風呂にも入っておきたい。僕たちが遠出をした時に泊まる場所は、基本的にはネットカフェだ。安いし、調べ物も出来る。シャワーのある所もある。
しかし東京へ入ってしまえばまず駐車場のあるところを探すのが難しいので、その手前で停まっていた横浜近辺で休める所を探したのだが、見つからなかった。そういう時の次の手はラブホだ。昨今あちらの業界も低迷しており、宿泊業に切り替えたり受け入れ方も昔に比べて寛容になってきているらしい。何箇所かには断られたが、一つ泊まれる所を見つけることができそこでようやくゆっくり休むことが出来た。
目的地までの時間を調べ、夕方頃に宿を出て、いよいよ東京へと向かったのである。
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