6月23日練習日~シンセで要求される音をつくるという事

曲のアレンジを行っている中で、こんな音を出して欲しいと言う事はよくあるし、それに応えてこそキーボーディストとはまた違った立ち位置でいる、シンセサイザーを使う人間の役割だと思っている。

昔シンセサイザーが生まれて間もない頃というのは、まずプリセットという概念が無かった。なのでシンセサイザーのメーカーは、機材を販売すると同時にサウンドエンジニアによる音作りのサービスを付属させるところもあったと言う。

またはサウンドエンジニアが現場に出向き、音だけ作って帰る、なんて事も普通にやっていたそうだ。


今はハードのシンセを買ってもプリセットの音色が何百、何千と入っているのが普通の時代で、ソフトシンセなんかになってくると更にである。
”音を創る”時代からサウンドエンジニアが用意した”音を探す”時代になった。

これは善し悪しで、勿論音作りにとってもそうだが、現代では自宅で自分ひとりでゼロから一曲完成させることが出来る。
一昔前のようにスタジオにギタリスト、ドラマー、キーボーディスト、エンジニアなど様々な人がわざわざ集まる必要は無くなったが、そう言った異文化交流も同時に消されてしまい、これまでのようには新しいものは生まれにくくなっているのではないかとも言われる。

しかし”便利”である事には違いない。
プリセットがあれば抽象的で言葉にできない音でも、ざっくりジャンルさえ絞れればその中のプリセットを聴いていき、感触の近いものから本当の希望の音を作っていくことが出来る。とても早い。


便利なのだが、気付かないうちに手足を奪われてしまっていたというような事はないように気をつけたい。

人が創った音色を使ってオリジナルの曲を作ることが悪いことではない。
自分ひとりで曲を完成させられる事だって素晴らしい技術革新である。

しかし、それと同時に失われる可能性の高いもの。
”音を創る”と言う一番基本的な事に対する技術や哲学、アーティストやそれ以前に人と人とのコミュニケーション。そいう言ったことを奪われていかないように、気をつけていかなければならないと思う。

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