アルバムのジャケ写が決まるとき

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最近になって、アルバムのジャケットデザインについても少しずつ具体的な話をするようになってきていた。

アルバムタイトルは大昔から、自分たちのオリジナルの楽曲が出来始めた時から決まっていた。


『手稿』


タイトルが手稿なので、じゃあジャケットデザインは文庫本のようなデザインにしようかとか、でも実際は手稿の表紙に手稿とは書かないだろうとか、ただただシンプルに真っ白か、炎を切り取って白黒にした抽象的なデザインか、等などいろいろ案は出ていた。

何れにしても良くも悪くも、自分たちらしいデザインを見比べていた。


先日車で3人で走りながらミックス中の音源を聴いていた時、京北の途中で康成が車をUターンさせて引き返した。
その先にあったのが、上の写真の店だった。


これこそアルバムのコンセプトそのものではないか、と。


ボロボロに朽ちかけているが、廃墟ではない。店の中には今ドラッグストアやスーパーで売られているものが並んでいる。写りこんだ自分はスマホを持っている。

これはデザインではない、アートだ。今という時代がこの存在だけで透けてありありと見えてくる。
これが手稿だ。

そして翌日、つまり今日、改めて3人で赴き、おっちゃんに一言許可を得て写真を撮った。
スマホで撮った。





そして、ついでに何に感心するかって、この店を目に止めた康成の感性だ。

「今見えている範囲に全てのものはある」と言うのはやはりその通り。
自分たちは見落としていたし、目にしていてもハッとしたかどうか残念ながら分からない。

芸術家とは、そういう事だと思う。

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