自分たちの存在を知らしめるためにやっていくべき事

未分類

一言でいうと、間違っていない事以外は全てやっていくという事に尽きると思う。

正解の手法を探していても、厳密には絶対に見つからない。youtubeを活用していく、という事だって、自分たちにとってはもしかすると正解ではないのかもしれない。それは未来から見てみないと分からない。だから正解が何かなんて分からない。

ただし、その逆は明確にある。それは、やりたくない事はやらない

例えば全員が髪を赤や緑に染めて東京や大阪を練り歩いておけば、ひと月もやってれば有名になるかもしれない。極端な話だが。
自分はまずやりたくないし、そうやって注目を集めても意味がないと言う事がわかる。

アイドルのバックで派手な衣装でDJやって盛り上げてくれって言われてもだいぶやりたくないし、そもそもそういう事は小さい頃から苦手。誰でも自分ができる部分、やってみたい部分、出来るけどやりたくない部分、などそれなりに大人になってきたらある程度は分かっているはずだと思う。


なので、それならそう言ったやりたくない事、出来ない事以外は全部やっていく。

例えば、誰かのチャンネルが有名になった所で自分たち3人のチームに還元される可能性は少ない。
という考えもわかるが、けれど本当に「よる」にとってそれが何一つ還元されないかなんて分からない。その時何が起こっているか、起こる可能性があるのか、見通す材料を自分たちは持ち合わせていなさすぎている。

希望的観測も多分に入るが、もしも個人での活動で誰かが脚光を浴びるようになった場合、その時にまだ「よる」の知名度はなかった場合、その人がメインでやっている「よる」の存在に本当に一つの光も当たらないだろうか?

例えばyoutubeに関して言えば、本当に考えもしていなかった様な広がり方をしていくと言う。
人それぞれコンテンツもキャラクターも性質も全て違うからそう言った人の言葉を鵜呑みには出来ないが、思考プロセスの一部には組み込んでおきたい話だ。



結局最後はどんな便利な時代になろうと、人と人との繋りが要になると思う。
例えばtomoco.Kがオリジナルの曲で大勢の人の共感を呼び、雑誌、youtubeやamebaの番組、ラジオ、TV、どこかしらからインタビューの話が来たら、そこからどうなるだろうか?
康成が動画がきっかけでアコギの雑誌に連載を始めるようになったとしたら、そこからどうなる?その時には康成のyoutubeチャンネルでは使ってくださいと言われて持ってこられたギターを使ってるかもしれないし、そしてその時に「よる」の状況は何も変わっていないのだろうか?




そして、一番大事なこと。後は、実際に動いていくべきだ。その場で立ち止まって思考していて、見渡せる視界には絶対に限界がある。少しでも進めばそこでまた新しいものが見え、新しい何かを感じ、次の思考に移っていける。その時に、間違ったことだけはやらないでおこう、と言うだけの事だ。


熟考する(自分たちがやりたくない事、やってはいけない事を把握する)

やりたくない事、やってはいけない事、以外の事を全てやっていく

そこでまた熟考する


このサイクル。今の時代「全てやっていく」と言えるくらいの沢山のアプローチを個人単位で、いくらでも投じていけると言う事が、もっとも味方にするべき時勢ではないだろうか。
やれる事は膨大になった。だから逆に難しい時代になった。これは余りにも自分勝手な言い訳すぎる。自分が振り回されているだけ、時代の流れ、便利になった媒体を掴めていないだけだ。

考え方と行動で、必ず飛躍できる。




最後に自分たちが注意すべき点。あくまでも母体は3人の活動にあり、個人個人は活躍しているがいざ「よる」を見に行ってみるとそこでは閑古鳥が鳴いている、という形になってしまうとサブい。

「よる」は母体としてそびえ立っており、そこからの派遣的な形で個々がまた様々な事をやっている、そういう形にはしておきたい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました