5月6日臨時練習日~「お経(仮)」

今日は昼過ぎから康成氏と集まりお経の後半シンセSE以降のパートを進めた。前回の練習日でピアノソロパートは概ね録音されていたので、まずはミドルの空気感の足りないところにストリングスでハーモニーを入れた。

問題は前回クラリネットの音色でリズム的なフレーズを入れていたところだ。初めはそれの下も入れたのだが、パートがローに近づくため同じフレーズでは良くなかった。かと言って上モノではギターやピアノが7度やテンションを弾きまくっているため、怪しいところを行くと直ぐに当たり、際どいレベルで響きが濁ってしまう。
結局初めに入っていたパートはいらないと判断し今日取り掛かったパートのみで、基音と3度を基本動くフレーズに着地したが、これだけでは個人的に全く良くない。服は着ているけれどオシャレでもなんでもない状態と同じだと思った。しかし、クラシックのワルツを参考にいろいろ聴いていくとローパートが3拍子の頭では少なくとも必ず打っているなと分かる。それを取り入れてみると、聞こえ方はまた少しだが変わる。しかしとにかくもう疲れた。


今日の作業の最後に少し話してみたのだが、改めて、自分たちの強みとは一体なんなのだろうか。クラシックで聴けるような美しさや感動感があるだろうか?ロックバンドで聴けるようなカッコ良さはあるだろうか?いや無くて良い。だって自分たちは楽団でも無ければロックバンドでもないのだから。じゃあ自分たちは、何を聴かせることが出来るのだろう。何を感じてもらうことが出来るのだろう。
自分たちはドラムとベースがいないのでよくオーケストラの楽曲を参考にすることがあるが、そうするとロックバンドやジャズ等でやるような事をやっているギターやピアノと当たる事が多々ある。かと言ってローパートは誰もいないので、つまり”リズム”の問題は常に直面し続けている。要するにめちゃくちゃ大変、常に頭を使う。例えれば、人間と悪魔の間に生まれた子供がどっち側にもつけずもがき苦しむ的な感じだ。

「難しい事をやっています」「音楽的な知識、スキルが詰め込まれています」「これまで誰もやっていなかった事をやっています」
で。それで、カッコイイの?もしくは、正にこれまで誰も感じたことのない感動を生めているのか?どれだけ御託を並べても、既存の何かと何かを集めて、同等かもしくは落ちるなら何をやってるのか分からない。
歌詞の世界観なんてものはいい。別に特定の音楽にしか乗せられない歌詞なんて無いから。この編成でしか生み出せないモノ。この編成だからこそ生み出せる素晴らしさ。

それが何かというのは、正直今考えていても全く意味がない。少なくとも自分たちが良いと思えるもの、胸を張って聴いてもらえるものを出すというのは、結果がダメだった時に納得が出来ると言った事くらいしかメリットはない。自分たちがどれだけ自信を持てていようが、決めるのは他人だから。
世の中に出す以上、人に聴いてもらう以上自分が自信を持って出すというのは大前提という人もいるかもしれない。セールスマンが自信を持って商品を紹介できないなら、なんの魅力も伝わってこないだろう。
それはそうだと思うが、自分たちは”セールスマン”ではない。”いいもの”を作る人であり、”いいもの”と決めるのはやはり自分たちではない。


とにかく全ての曲に対して、もうこれ以上詰めるのも考えものな所まで来ている。
もうどれだけ頭を捻ってもそこまで変わらないレベルまで来ているとか、そういう話ではない。1週間寝かせば素晴らしいアレンジが浮かぶかもしれない。2週間寝かせば、劇的に良くなるかもしれない。でも、これ以上は時間を費やすというリスクがだんだんと幅を効かせてくる。そろそろ手放さないと。今のこれが、自分たちの実力。もしも我々が悪魔と人間の合いの子なら、一本映画化出来るくらいのポテンシャルは絶対秘めている。

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