前回ギターの弾き方を人に教えると言う事について書いたが、今回は”弾き語りの仕方”の場合について。
ある日康成のもとに、弾き語りを教えて欲しいと言って生徒Bがやってきた。
(康成はアコースティックバンド「よる」のギターとボーカルを担当しており、ギター教室とボーカル教室をやっている。)
生徒Bは元々はギターを弾く人間で、歌う方はこれまであまりやって来ていなかったという。康成のレッスンにはセオリーや型、マニュアルといったものは無いので、その生徒Bの話を聞いているとこうだと言う。
「まずは改めてギターの練習をして、ちゃんと弾けるようになりたい。」
「ギターの技術をちゃんと習得した上で、ボーカルに関して教えて欲しい。」
一見正しい話にも聞こえるのだが、康成は悩んだという。
何故ならギターの演奏だけをするのと、歌と一緒にギターを鳴らす、ましてや自分が歌いながら演奏するというのとは全く違うからだ。
例えば、弾き語りをしている最中にフレットを見てしまっては、マイクから顔が離れてしまう。また、演奏と歌との間合いや呼吸も大事なポイントになってくる。
同時にやっていった方が良いと康成は考えるわけなのだ。
何かを教える立場であるなら、相手の要求しているものが何であるかを正確に理解しておく事は大前提である。
場合によっては本人自身がはっきり分かっていない事もあるので、その場合には一緒に整理しながら気付いていってもらう。
その上で、本人の望むやり方が、果たして本当に本人のやりたい事に正しく向かっている行動なのか、考える必要もあると思う。
今回の場合生徒Bの目的は、”弾き語りを教わりたい”と言う事だ。では”弾き語りが出来る”の定義は何なのだろうか?
恐らくそれは人それぞれ違い、生徒Bの中にも漠然とかもしれないしハッキリとあるのかもしれないが、あるはずだ。
そして、当然康成にもある。多分こう言うのだろう。
「弾き語りはあくまで表現のいちスタイルなだけで、それ以前にアーティストとして、赤の他人を感動させられる事」てな具合に。
今回の生徒Bの場合、仮に当人が望む進め方で無かったとしても、康成は自分の考えるやり方で一旦はやっていってもらおうと思うと話していた。何故なら、そうでないと自分のところにやって来てくれた意味がないから。
相手の考えを正しく把握する高いコミュニケーションスキルと、それに対する最善の策(最短が最善ではない)を講じる能力が求められる。
これらは優れた音楽家だから出来るなんてものではない、難しくもあり価値のある作業である。
最後に余談だが、以前メンバーのピアノ&ボーカル、tomoco.Kが他のバンドのサポートに入ってくれないかと依頼されたことがあった(その件に関しては断らせてもらったのだが)。
その理由は、tomoco.Kがいつも歌と一緒に演奏しているからと言う事で、理由として至極真っ当という訳である。
ただこういった点に関しても、わりとしっかり音楽をやっている人の中にも分かっていない、もしくは軽視する人はいるのである。
※宣伝するつもりはないが一応、レッスンの相談などはこちらから。
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