「足るを知る」に対して、ひねくれた?想像をした結果

ある本に、「まず今の状況での満足度を10段階で評価してみましょう」とあって、次に「ではあなたが右手を失ったとしたら。次に視力も失ったとしたら。」「その時の状況をリアルに思い描き、もう一度満足度を10段階で評価してみましょう」と書いてあった。そして、あなたが大多数の人と同じように感じたのなら、幸福度は上がったでしょうと。

この項で言いたかった事の本質は正しく理解できているのか分からない。「ほらあなたは十分に恵まれているでしょ」と安っぽく伝えたかったのか。

なんとなく自分も想像してみたのだが、確かに幸せ度はとても上がった。


どう考えたのかというと、「目が見えないってめちゃくちゃいいやん」って思ったから。
なぜなら例えば、ヤバいハゲてきたかも。もっと背が高ければなぁ。湿気が多くて髪型が思うように決まらん。SNSなんて見ないほうがいいの分かってるけどついつい・・・。部屋の掃除しないと。みたいな事から全て解放される。

手がなければ、思うような演奏ができない。仕事で中々上達しない。なんて今の日々の悩みも無用。出来ることがかなり制限されるので、選択肢もシンプルにならざるを得ない。羨ましいとさえ思った。

それ以前にもし戦争なんかが始まれば、音楽でもっと沢山の人に聞いてもらわないととかお金を稼がなければとか、そんな事考える必要はなくなり毎日生き延びる事だけを考えればよくなる。究極にシンプルな生活ができるようになる、最高に生きやすい!

そう想像すると、めちゃくちゃ幸せな気分になったという事。
けれど、目が見えないより見えた方が良いに決まっている。綺麗な自然や素晴らしい映画が見れる。漫画も読めるし好きな時に好きな本も読める。DAWと言う便利なソフトも使える。
手が使えればピアノも弾けるしギターも弾けるし、新しい楽器にだってチャレンジ出来るしやろうと思った時になんだって出来る。ブログを書こうと思えばこうやって直ぐに始められる。やはり手はあった方が良いし、戦争のない時代に生きれている方が良い。


なので今の自分が悩んでいることというのは全て、そういった好条件下でしか生まれない悩みや不満、何ならただの愚痴だと言っていいと思った。
「給料が低い。待遇が悪い。」という人はまず、手足が自由に動いている事を考えてみると良い。

そんな精神論で、だから現状に満足しようという事が言いたいんじゃなくって、そう考えれば自分に対して可能性の塊だということに気付くことが出来るから。

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