完全に独り言で良い内容だが、書き留める事で頭は整理される。
今のプリプロ作業は、少なくとも自分にとっては過酷を極めるマラソンだと言える。
このマラソンに参加しているランナーの中で、唯一なんとなくでも、おぼろげながらでもゴールまでの距離を把握できているのは康成のみだ。理由は作詞と作曲を行った人間だから。最もこだわりと、そのイメージがあって当然だろう。
それ以外の人間は、今どの当たりを走っているのか見当もつかない。それどころかこのマラソンは、突然以前走ってきた所まで戻される。
「ついにゴールが見えてきたぞ!」と思いきや、最初の10キロ地点にワープさせられる訳だ。もしそんなマラソンが実際にあるのなら、全力で走っていては完走できないだろう。
因みに先日、臨界点を越えて以降夜になると蕁麻疹が出る。
さあでは、このゲームをどうやって生き抜き、勝利するか?ルール変更をすると言った事は一旦置いておき、ここは敢えて現状のルールに従いつつ、ゴールする事だけを目標に考えてみよう。
【もし本当にこんなマラソンがあるなら、必ずゴールしなければならないとしたら。】
①歩く。
②適当に休む。
③”現在地”ではなく、”前に進む”ことだけを考える。
④景色を楽しむ。
⑤戻されたら「面白くなってきたゼ」と何かの主人公になりきってみる。
⑥ゴールしたくなくてもいつかはゴールテープを切る事になる事を分かっておく。
⑦「あと残り○キロだ!」とか期待しない。
この時点で、正直既にかなり書き出した価値があると感じている。
ではついでに。逆にどんな人はこのゲームから脱落するだろうか?
①「マラソンは常にベストな走りをしないといけない」とか、無意味な自分ルールを持っている。(真面目な人)
②ゴール目前から戻された人の中で、「あと少しでゴールだ」と思ってしまった人。
③「これは試練だ」とか言って闘う姿勢で臨む人。
④友達、仲間を作る人。自分のコントロール出来ないものに依存してしまう。
⑤自分のために走っている人。
そら、蕁麻疹出るわ。
その時見えてる景色をいっぱい感じて。
ベストタイムなんて出そうとせず、適当でいい。
走ってる、歩いてる、それ自体を楽しめばいい。
時には止まって寝そべって、風や草のにおいを感じる事も忘れずに。
と言うかこれ、見返してみると、今回例として生まれたこのマラソンっていわゆる人生そのものにも見えてくる。そんな話ではなかったのに、とても興味深い。
そして僕はなぜわざわざこんな事まで人に見える形で書いているのか。それは、いつか本に出来ると思っているからだ。
事務所によってはメンタル面のフォローもアーティストに対して行う所もあるそうだが、僕たちにはそんな人はいない。
僕が日々何に悩んで、何を考えていて、それをどういう方法で乗り越えていったか。どういうスタンスがその結果を導いたのか。こう言った経験や思考は、他の人にもきっと役立つものがあると思う。
今回の様に個人的な内容になってしまうこともあるが、日々の出来事だけを記録していくだけでは意味がない。ここまで書き残してこそ価値がある。
今やビジネスマンに読まれる孫子の兵法みたいなもんだ。
話を戻すと。
あくまでも、目標はゴールする事。だけど、ゴールするためにはゴールを見てはいけない。そうすると、先に書いた、”脱落する人”になってしまう可能性がある。
一旦ゴール地点を定めたら、あと大切なのはどんな状況や状態、環境でも”一歩”を踏み出し続ける”工夫”だ。
バテるまで走るなよ。水分補給は、喉が渇く前にしておけ。
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