3月10日練習日~長い対話”自分たちを知って貰う為にやる事”

昨日は大切な話を3~4時間にわたりする事となった。テーマは一言にまとめると、”自分たちを知ってもらうための方法”だ。僕は現代のアマチュアミュージシャンはもはや当たり前の事として、ブログやyoutubeといったネットを駆使し自分たちの事を知ってもらうための努力を最大限しなければならないと考えている。
大抵の人の場合は曲作り、練習、ライブ活動が多くの時間を占めるのだろう。だがそれで仮に最高の曲を持って最高の演奏をしていたとしても、ではメジャーのプロがどうして何百万もかけて宣伝を行うんですかって話だ。
ライブ会場で「CD作りました!」とか言って物販スペース作ってるバンドは須らくサブい。誰も買わないCDを先行して作って、知り合いしか来ないライブを繰り返している。詰んでるだろう。

動画だってそう。youtubeにどれだけ素晴らしい動画をUPしたところで、無名だから検索のされようがない。だからそれならカバー動画も一緒に投稿する。僕たちならそれ自体の価値も見せながら、そこから自分たちの動画へ誘導させる入口にさせる事が出来る。ブログなども活用し、世の中の人が日々検索している様な内容から自分たちのところへ誘導する筋道を築く。そういった事も立派な音楽活動として、積極的にやっていかなければならないという話をした訳だ。

しかし話は減速する。根本的なものが食い違っているという感じだ。
ここで康成の、記憶に残った興味深い話を一つ取り上げておこう。

とあるホテルでの実際の話。そこではそのホテルを築いた初代社長は既に退いており、2代目が社長の座に就いていたのだが、2代目と先代とは仲が悪かったという。
時はインバウンドにより外国人がどんどん観光に訪れる時代。外国人は宿の相場もよく分かっていないし、予約が空けばすぐに入ってくるもんだから、一泊5万でもいくらでも予約は埋まったという。
そんな様子を見て、先代社長はそのやり方に警鐘を鳴らした。儲かるからって外人ばかり入れるなと。だけど4倍5倍で儲かるし放っておいてもいくらでも流れ込んでくるわけだからそのまま続けた結果インバウンドも落ち着き、今や街中にはゲストハウスが立ち並び、今までそのホテルを好んで利用していた日本人客はもう戻ってこない。彼らにすれば、これまで予約を見てもいつも満室、そもそも値段も観光価格に吊り上げられていた。そして外国人は何の関係もないので、ゲストハウスを利用するのである。

僕のしている話はようするに、この2代目の様な考え方だと康成は言う訳だ。現場で培われた嗅覚、野生のカンと言ったものが一切入っていない。




康成の話の全てを自分の中で咀嚼してまとめると、”人”だと思った。「人のパワーをなめるなよ」って事に全て帰結しているのではないかと。今や世界のキリスト教も創価学会も初めは絶対に一人から始まった訳で、時には変人にも見られたであろうし戦争にまで発展してもなお布教を諦めなかった、そうやって集まった100人と、ネットで世界中から最良で最強の人材を100人集めたとして、比べた時に後者の方がどこか薄弱としているのではないか、という事だ。

こう言った話をふまえて自分の考えを振り返った時に、やはり間違ってはいない。至極正しい事を言っているのだが、初めからピースの欠けているジグソーパズルを、その事に気付かず完成させようとしている感じの怖さがどこかにある気がする。自分たちは本質的に何がしたいのだろうか?


時間をかけて建てられた家はしっかりしていて倒れにくい。長い期間の中で身につけた知識や経験は一生忘れない。ゆっくりと熟成された人間関係は消えない。今は何でもスマホやPCで出来る。どこの誰とでも繋がれる。だからこそ、こんな希薄な時代だからこそ、人間と人間がその間に通わせる力の強さ、人間そのものが持っている力の大きさ。そいういった人間本来の持つ神々しいまでの力を見たい、体感したい。そうとは心から思える。


「CDを作ったら実際にいろんな所を回って、CDを渡そう」 「自分だけが動画に出てカバーをやると言うのはやりたくない、自分が素晴らしいと感じた誰かと一緒にやる」 「どんどん対バンにも出て行こう」。全部見事なまでに巷のミュージシャンが吐きそうな言葉の数々。しかし原理が天と地ほど違う。
そしてそこから、”何か”を起こす。起こらないかもしれない。だが、起こすのだ。打算はいらない。ネットでの集客もやれるのならやれば良い。しかし、これ以上に優先される事のあってはならない重要な条項が自分たちの信念に刻まれている事を再認識した。


ただし。ただし、信念だけではいけない。信念を持つための、勇気も必要である。改めて、とんでもないハードな生き方を選んでいるのだなと今更ながら実感した。

コメント

タイトルとURLをコピーしました