11月17日~康成と話している中でまとまっていく、活動の仕方についての大事な話

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車が廃車になった事に関しての話などをする為に時々会って喋っているのだけれど、今日も喋った後に色々とyoutubeについて思うこと等を話していた。
そんな中で重要なポイントを抜き出しておく。

全国廻る時、カメラなんて回さなくてイイんじゃないか?

今日やっと、ずっとモヤモヤしていた事が一つ言語化できた。

これまで例えば全国廻るとしてその道中を撮影したり、お店に入ってマスターとのやり取りやその店で演奏させてもらったりといった動画をシリーズものとしてアップしていく。そう言った類のアイディアをいろいろ話してきたが、自分の中ではイメージできなかった。何となく気が進むプランではなかった。

それは自分がどちらかと言うと部屋に篭っておきたいタイプだからかなと思っていたけれど、違った。

要は、煩わしい。どこか店に入る時から、撮影が前提なら
「ここは撮らせてもらえるかな」
「そういう話をマスターとしないといけないな」
「お客さんの入り的に、演奏出来そうか、撮影出来そうな雰囲気かな」

とか、考えることになる。

自分たちは旅芸人になりたい訳ではない。ホントは、純粋に新しい人との出会いを求め、そこで起こる予測不可な化学反応が楽しくって、まだ見ぬ土地へ赴くはず。


自分たちの中の頭の中に”撮影”がある時に出会った人と、純粋に体一つで出会った人とでは、そこで残してこれるものはかなり違ってくると思う。前者は、どこか打算じゃないけれど、その人と向き合っている時何か別のことも考えているから。

これは今の時点で考える事が出来てすごく良かった。


自分たちの売りものは何だったか?”言葉”でしょう?

先に、自分たちは旅芸人になりたい訳ではないと言ったが、自分たちはここ最近そう言った事をずっと話していた。

例えば”全国を旅しながら演奏する動画”もそうだが、”アレンジを投稿する”、”誰かと一緒にドリル式にギター奏法を投稿する”、”ピアノのスタンダードを投稿する”。これらは音楽関係だからややこしいけど、僕が”珈琲にまつわる動画を上げる”のと同じ。



確かにyoutubeでは何が起こるか分からない。それらがバンドの活動に向くかもしれないし、個人でやりたければいくらでもやればいいと思う。
けれど、手段と目的が気持ちよく一致していない。中古ギター屋のスタッフが、ギターを売りたいから、試し弾きしている映像と音声をyoutubeにアップするのはとても綺麗につながる。


残さないといけない歌、沢山の人に聴いてもらわないといけない曲がある。


ついアレンジが作業になってしまっていた事を反省したが、自分たちの売りは唯一無二の切り口と言葉。極端に言えばこれしかないと思う。
ウケる曲を作ってバズってはいオッケー、ではない。目の前に迫っているけれど、誰も見えていない物に気付かせる。時代や社会に対して疑問を投げかける。陳腐に言うと、少しハッとさせる。
それが芸術家であると思う。

例えば「母性」なんかは最たるものの一つだと思う。他にも色々とある。これは残さないといけない、と言う曲が、3人の曲ソロの曲どちらにも結構あるんだ。

それらの曲により力を乗せるために、より沢山の人に届いていく様にするために”映像”を使う。そう考えた方が、道筋が気持ちよくつながる。
よる×松尾鉱山、よる×天橋立、よる×飯面雅子、と言ったものが例えばそうで、そこへどう来て、そこからどう派生しようが自分たちを知ってもらう事になる。やはり全ての考えや行動は”自分たちの売り”に向いていないと。





考えるの疲れたからちょっと休憩~

で、そして、それで食えるの?

素晴らしい曲を作る。その曲に出来る限り最高のアレンジを施す。それらの曲を、全てではないが高いクオリティの映像作品として発信する。打算ではなく、こんな曲を歌っている人がいるんだよという事を知って欲しいという意味で、積極的にいろんな人に聴いてもらいに行く、音源送るとかじゃなく足を使う。どこかへふらっと出掛けるのなら、しっかりと人に会ってくる。

そういった事全てを高いクオリティでやって、何も起きないのならそりゃ食っていく資格ないよってことですよね。


今後のyoutubeに対して考えること

最近こういう話も良くしているが、果たして10年後20年後、まだみんなyoutube見ているのだろうか?と思うわけ。もうピークアウトはしたと言われているみたいだけれど、どんどん下火になっていくと思う。先に書いたギターを紹介する中古ギター屋の様に、”機能”としてyoutubeは立派に使われていくと思うが、娯楽としてはどうなんだろう。

例えば”ミニマリスト”っていうジャンルが生まれているが、彼らにとってのyoutubeの”機能”って何なんだろうって考えるわけである。”カップルチャンネル”とか言う、年寄りには理解し難いモノもある。注目を集めたい、有名になりたい、のかな?広告収入とかを当てにするには割に合わなさすぎる。
それにもしyoutubeがある日突然有料になったり、マサカの無くなった場合、自分を証明するものや人から承認してもらうものは全て消える事になる。そんなものにみんな一生懸命になっている、それがめちゃくちゃ虚無的に感じるんですよね。

分かってやってるならまだ良い。けどある日突然なくなったら、何にも残らない。そんなものに時間を使っているのか?プロの格闘家がyoutubeやってるのは、youtubeなくってもその人に価値があるから良い。(なぜやるのか分からないけれど)
そもそも、一生懸命動画を作って編集している人たちにとって、その時間は自己投資になっているのだろうか?説明動画を作るなら構成も考えるし、どう話せば伝わりやすいかも考えるし、その分野の知識だって深まるはず。だけど、何となくだけど、その作業全て含めてどれだけ自己投資になっているのか、少し疑問ではある。。





youtubeに対して”機能”って言うと、殆どの人は「え?」ってなると思う。だって基本娯楽だから。だけど使うなら考えて使わないと、衰退の渦に飲まれるだけ。”機能”として使えていれば、爆発的に再生されることは無くても一定の層の人は見る(使うと言った方がいいかも)だろうし、仮に再生出来なくなったとしても自分たちが動ける以上また何かやれるのだから。

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